【聖書講座 #18】パウロはローマへ
この回のポイント
パウロの第三回宣教旅行の後半と、ローマへの旅について学びます。
彼がローマに行く前、ローマの人々に宛てて書いた「ローマ人へ手紙」は、福音の基本がわかりやすく解説されており、新約聖書の中でも最も重要な書のひとつです。
この手紙は「なぜキリストは十字架について死ななければならなかったのか」という、新約聖書の中心的な問いに明確に答えを示すと同時に、私たちがどうすればキリストの十字架と救いにあずかることができるかをも、わかりやすく説明しています。

エペソでの騒動後の第三回宣教旅行
前回は、パウロの第二回宣教旅行、そして、第三回宣教旅行の途上にエペソで大混乱が起こり、パウロの同行者ふたりが捕えられるという事件までをお話ししました。
今回は、その後のパウロの足取りを追って、エルサレムへの旅から裁判、そして、ローマへの護送までを、ご一緒に学んでゆきましょう。
エペソでの騒動が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニヤ州へと出発しました。
そして、この地方をとおり、多くの言葉で人々を励ましたのち、ギリシヤに来て、三か月を過ごしました。
パウロがシリヤ州に向けて船出をしようとしていた矢先、彼に対するユダヤ人の陰謀があったので、マケドニヤ州を経由して帰ることにします。
同行者の一部は先にトロアスへと出発し、パウロたちは過越の祭の後、ピリピから船出をしてトロアスで落ち合い、七日間そこに滞在しました。(使徒行伝 20:1-6)
ペンテコステの日に合わせ、エルサレムに向かう
その後、パウロは陸路をとり、他の人々とアソスで落ち合い、ペンテコステの日にエルサレムに到着できるように旅を急ぎました。
そのため、彼はエペソに寄ることはせず、ミレトから使を送ってエペソの教会の長老たちを呼び寄せ、次のように伝えました。
「今や、わたしは御霊に迫られてエルサレムへ行く。あの都で、どんな事がわたしの身にふりかかって来るか、わたしにはわからない。ただ、聖霊が至るところの町々で、わたしにはっきり告げているのは、投獄と患難とが、わたしを待ちうけているということだ」。(使徒行伝 20:22-23)
一行は海路を急ぎ、カイザリヤに上陸後、エルサレムへと向かいます。こうして、第三回宣教旅行は終わりました。
そして、パウロはもう二度と自分の顔を皆が見ることはあるまい、と言ったので、集まった人々は激しく泣き悲しみ、別れを惜しみつつ、パウロを舟まで見送りました。(使徒行伝 20:7-38)
一行は海路を急ぎ、カイザリヤに上陸後、エルサレムへと向かいます。こうして、第三回宣教旅行は終わりました。
第三回宣教旅行の終わり、捕らえられたパウロ
エルサレムに到着した翌日、パウロがヤコブを訪問すると、そこにいた長老たちは、パウロの身の危険を案じ、ユダヤ教の律法を尊重するようにと助言します。
しかし、ペンテコステを祝うために地中海方面から集まって来たユダヤ人たちはパウロを見つけると群衆を扇動し、パウロは捕えられて兵営の中に連れて行かれそうになりました。
そこでパウロは、守備隊の千卒長に弁明の機会を与えてもらい、民衆にむかって自分の回心について語り始めましたが、彼の使命が異邦人に福音を伝えることであると明らかにした途端、群衆は騒ぎ出し、パウロは縛られてしまいます。
しかし、彼が百卒長に自分がローマ市民であることを伝えると、パウロを取り調べようとしていた者たちは恐れ、翌日、千卒長は真相を知ろうと、祭司長たちと全議会を召集し、パウロを彼らの前に立たせました。(使徒行伝 21:1-22:30)
ところが、パウロが議会で証言したことによって、パリサイ派とサドカイ派の争論が激化したため、千卒長はパウロの身の安全を確保するため、兵営に戻しました。
翌日、千卒長はユダヤ人たちがパウロを殺そうと企んでいることを知り、護衛付きでパウロをカイザリヤに向けて出発させました。(使徒行伝 23:1-23)
パウロの裁判
五日の後、パウロはカイザリヤで総督ペリクスの審理を受けます。
しかし、ペリクスは判決を出さず、裁判を延期し、ユダヤ人の歓心を買おうと、二年の間、パウロを監禁したのでした。(使徒行伝 24:1-27)
さて、ペリクスの後任としてフェストが総督に着任すると、彼は祭司長たちの訴えを受け、裁判を再開します。
しかし、パウロは自分がエルサレムの宗教裁判所ではなく、ローマの法廷で裁かれるべきだと主張し、フェストは、パウロの上訴を認めました。(使徒行伝 25:1-12)
ローマで福音を伝えたパウロ
その後、パウロとそのほか数人の囚人たちは百卒長ユリアスに託され、パウロの弟子たちも乗船し、ローマへと出航しました。
途中、パウロは航海の危険を指摘しますが、その意見は聞かれることなく、海上を漂った末、十四日目の夜、陸地に近づいていることがわかり、翌日、全員がマルタ島に上陸し、救われました。(使徒行伝 27:1-44)
それから三か月後、パウロたちはマルタ島からローマに向けて出帆しました。ローマに到着すると、パウロは、番兵はつけられたものの、ひとりで住むことを許されます。
三日経ってから、パウロは、おもだったユダヤ人たちを集め、カイザルに上訴するまでの経緯を話し、その後、日を定めて、朝から晩まで神の国のことを証しし、ユダヤ人たちの説得につとめました。ある者はパウロの言うことを受け入れましたが、ある者は信じようともしませんでした。
そこでパウロは、神の救いの言葉が異邦人に送られたのだとユダヤ人たちに述べ、遂に物別れに終わってしまいました。
その後、パウロは自分の借りた家に満二年の間住んで、人々を迎え入れ、大胆に福音を宣べ伝えます。こうして、福音は異邦人たちに広く伝えられていったのです。(使徒行伝 28:1-30)
まだ見ぬ読者に宛てられた「ローマ人への手紙」
実は、パウロはローマに到着する前にローマの人々に宛てて手紙を送っています。「ローマ人への手紙」と呼ばれるこの書簡は、パウロが、第三回宣教旅行でコリントに3か月間滞在した時に書かれたものだと言われています。
パウロは、それ以前からローマに行くことを切望していましたが、その願いは容易には叶えられませんでした。
ですので、パウロのほとんどの手紙が、彼自身が設立した教会に宛てて書かれたものであるのに対し、この手紙は例外と言えるでしょう。
彼は、世界の中心ローマにある、まだ見ぬ教会宛に福音の正しい理解を伝えるために、この長い手紙を書きました。
では、これから手紙の内容を見てゆくことにしましょう。
1章:手紙の主題
この手紙の主題は第1章で提示されます。
「わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救いを得させる神の力である。神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、『信仰による義人は生きる』と書いてあるとおりである」。(ローマ人への手紙 1:16-17)
パウロはここで、福音はすべて信じる者に救いを得させる神の力であると宣言し、さらに、神の義はその福音の中に啓示されると述べています。
6章:洗礼の意義
その後、アダムを通じて罪と死が入り込んできたことが明らかにされ、6章では、洗礼の意義が語られます。
「それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである」。(ローマ人への手紙 6:3)
わたしたちは、キリストの十字架によって罪に死に、その終極は永遠のいのちであることを知らされます。
9-11章:神のご計画
さらに、新約聖書中、最も難解であると言われる9章から11章にかけては、イスラエルが頑なになったことにより、救いが異邦人に及んだことが語られます。
しかし、この神のご計画は、パウロにとっては、たいへんな痛みを伴うものでもありました。
9章のはじめには、パウロの苦悩の深さを物語る言葉が残されています。
「わたしに大きな悲しみがあり、わたしの心に絶えざる痛みがある。実際、わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身がのろわれて、キリストから離されてもいとわない」。(9:2-3)
さらに、パウロはこのように語っています。
「そこで、わたしは問う、『彼らがつまずいたのは、倒れるためであったのか』。断じてそうではない。かえって、彼らの罪過によって、救いが異邦人に及び、それによってイスラエルを奮起させるためである」。(11:11)
12章〜:実践的助言とローマ訪問の予告
そして、12章以下で信徒たちへの実践的助言が記されたあと、
15章では「あなたがたの所に行く時には、キリストの満ちあふれる祝福をもって行くことと、信じている」(15:29)と、献金を携えてのローマ訪問が予告され、手紙は終わります。
次回予告
今回は、使徒行伝を中心に、パウロの働きをお話ししました。
実は、使徒行伝の著者であるルカは、パウロの宣教旅行に部分的にではありますが同行しています。それが使徒行伝の記述を、より生き生きしたものにしていると言えるでしょう。
次回は、パウロの複数の手紙を中心に、使徒たちの苦難について、ご一緒に学んでゆきましょう。