【サムライ #13】勝海舟
この記事のポイント
・見ず知らずの家族を救った勝海舟
・アンナの生き様に救われた勝海舟
・絶望していた海舟を励ました福音
イントロダクション
坂本龍馬の師である勝海舟。海舟ほどキリスト教の影響を受けた人はいないとも言われ、幕末のキリシタン禁制の時代にキリスト教を擁護したことでも知られています。
今回は、そんな海舟と聖書の関係についてご紹介してまいります。
ポイント1:勝海舟が出会ったキリスト者たち
勝海舟は1823年、江戸本所に生まれました。海舟は若い頃から剣術や蘭学に親しみ、長崎海軍伝習所時代には、オランダのクリスチャン教師カッテンディーケに影響を受けました。
1860年には、幕府の遣米使節団に随行して太平洋を横断。アメリカ滞在中にもキリスト教の家庭の世話になり、毎週のように日曜礼拝に出席しています。
海舟は明治になると政治の第一線から身を引きましたが、明治政府のご意見板として活躍しました。また、貧しい人々を助ける働きもしました。
晩年は、キリスト者との交流が深まり、とくにアンナ・ホイットニーから大きな影響を受けたと言われています。
ポイント2:海舟が感動したアンナの生き様
1875年、ホイットニー一家がアメリカから来日しました。しかし、まもなくホイットニー一家は生活に困るほど困窮してしまいます。
この時、手を差し伸べたのが、海舟でした。海舟は彼らが勝邸の敷地内に住むことを許し、家族のように過ごしました。
海舟の親切を受け、感謝したアンナ・ホイットニーは、海舟がキリストを信じて救われるように祈りはじめました。
アンナは1882年に息を引き取るまで、命をかけて聖書の真理を伝えようとし、その姿が海舟の心を激しく揺さぶったのです。
……臨終の時のあのような静かな力をもち、あれほど子供たちによく本分を守らせているのは、信仰の力にちがいない……
海舟はアンナの死を悼み、聖書のことば「義人は信仰によって生きる」を墓碑に刻みました。
ポイント3:晩年の回心
海舟は70歳の時、長男を若くして失い、悲しみに暮れます。そんな時、E. クラークの友人ニーダムが海舟のもとを訪れました。海舟は1時間以上ニーダムが語る福音の言葉に耳を傾けました。
終わりに差し掛かった時、ニーダムから祈りたいかと尋ねられた海舟はすぐさま同意します。
祈りを終えた時、海舟は涙ながらにニーダムの手を握りしめ、「人生でいちばんすばらしい恵みの時でした」と低い静かな声で感謝を示しました。
福音が絶望の淵にあった海舟を救い、その最も辛かった時間を人生で一番すばらしい恵みの時へと変えさせたのです。
まとめ
以上、勝海舟とキリスト教の関係について、3つのポイントをご紹介しました。海舟は人との出会いを通してキリスト教に触れました。そして、晩年には福音の力によって救われることになったのです。
聖書の言葉はどの時代も輝きを失うことがありません。困難な時代だからこそ、聖書の言葉が必要です。みなさんも、サムライたちの人生を変えた聖書を読んでみませんか?