【聖書講座 #16】パウロの回心

この回のポイント

さて、この学びの第3~15回は、すべてユダヤ人に起こった出来事でした。

しかし、今回学ぶ個所から、ユダヤ人以外(異邦人)の私たちにも扉が開かれていきます。弟子たちは、異邦人も救われたのを見て、とても驚きました。その後、異邦人に福音を精力的に伝えたのが、パウロという人物です。

しかし、今までユダヤ人ばかりだった教会に、異邦人が参加することで、様々な混乱が起こります。そこで、それを解決するためにエルサレムで重要な会議が行われました。

迫害者だったパウロ

前回は、イエスの十字架、そして、復活・昇天後に何が起こったか、十二弟子の中心人物であったペテロと、エルサレム教会の七人の執事のひとり、ステパノを取り上げてお話ししました。

今回は、ステパノの殉教に関わったパウロ(へブル名サウロ)のその後に焦点を当てて学んでゆきましょう。

彼は、キリキヤのタルソ(現在のトルコのタルスス)のユダヤ人家庭に生まれ、成長するとエルサレムに上り、当時の碩学、ガマリエル門下で薫陶を受け、熱心なパリサイ派として律法に基づいた厳格な生活を送っていました。

そのような背景を持ったサウロにとって、あたかも律法を軽んじているかのように見えるイエスの教えは許し難いものがあり、イエスの弟子たちを迫害の対象としたのです。(使徒行伝 22:3-4)

「目から鱗」で回心したパウロ

サウロがイエスを信じた者たちを探し出し、エルサレムに連行しようとダマスコ(現在のシリアの首都ダマスカス)近くに来たとき、思わぬ事態に遭遇します。

突然、天から光がさし、彼が地に倒れると、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」との呼びかけに続き、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」という声がしました。

サウロが地から起き上がって目を開いたところ、何も見えなくなっていたため、同行者たちは彼の手を引いてダマスコへと連れて行きました。サウロは三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしませんでした。(使徒行伝 9:2-9)

その頃、ダマスコのアナニヤという弟子に、イエスが幻の中に現れ、サウロを訪問するようにと告げられます。アナニヤがサウロを訪ね、彼の上に手を置くと、目からうろこのようなものが落ちて元どおり見えるようになり、サウロは洗礼を受けました。

その後、サウロは今までとは一転し、ダマスコの諸会堂でイエスこそ神の子であると説きはじめます。かなりの日数がたち、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談を始めたため、彼の弟子たちは夜の間にサウロを逃しました。(使徒行伝 9:10-25)

福音を大胆に語り始めたパウロ

エルサレムに到着したサウロは、キプロス生まれのレビ人、バルナバの取り計らいで、イエスの弟子たちの仲間に加わることができました。

サウロはエルサレムで大胆に福音を語り始めましたが、ユダヤ人たちはサウロを殺そうと狙いました。案じた仲間たちは、サウロをカイザリヤからタルソへと送り帰しました。

こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地方で基礎が固まり、次第に信徒の数を増していったのです。(使徒行伝 9:26-31)

ペテロが異邦人に洗礼を授ける

さて、カイザリヤにイタリヤ隊と呼ばれた部隊の百卒長で、コルネリオという信心深い人物がいました。

ある日のこと、神の使が彼のところへ来て、ヨッパに人を遣わし、ペテロという人物を招きなさい、と告げたので、コルネリオは、僕ら三人をヨッパへと送り出しました。(使徒行伝 10:1-8)

その翌日、ヨッパでペテロが祈っていると、彼は夢心地になって幻を見ます。その幻とは、地上の四つ足や這うもの、空の鳥などが入っている、四すみをつるされた大きな布のような入れ物が天から降りてきて、「それらをほふって食べなさい」という声がした、というものでした。

その幻が消えたちょうどその時、カイザリヤからの来訪者が到着したので、ペテロは彼らを迎えて泊まらせ、翌日には彼らと連れ立って出発しました。(使徒行伝 10:9-23)

その次の日、カイザリヤでは、コルネリオが親族や親しい友人たちを呼び集めてペテロたちを待っていました。

そして、到着したペテロの足元にひれ伏したコルネリオに、ペテロは語りかけます。
「あなたがたが知っているとおり、ユダヤ人が他国の人と交際したり、出入りしたりすることは禁じられています。ところが、神はどんな人間をも清くないとか、汚れているとか言ってはならないと、わたしにお示しになりました……」。

そして、ペテロがカイザリヤの人々にイエス・キリストの福音を宣べ伝えますと、まだ語り終えないうちに、それを聞いていた人々に聖霊がくだったので、ユダヤ人の信徒たちは、聖霊の賜物が異邦人にも注がれたのを見て驚きました。

そこでペテロは、「この人たちがわたしたちと同じように聖霊を受けたからには、彼らに水でバプテスマを授けるのを、だれがこばみ得ようか」と言い、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けさせました。(使徒行伝 10:24-48)

こうして、福音はユダヤ人だけではなく、異邦人にも扉が開かれたのです。

アンテオケで進んだ異邦人への宣教

異邦人への宣教は、アンテオケで大きく進みました。

エルサレム教会がバルナバをアンテオケに遣わすと、彼はサウロを探しにタルソへと向かい、ふたりでアンテオケに戻ると、まる一年、ともに教会で教えました。

このアンテオケで初めて、弟子たちが「クリスチャン」と呼ばれるようになったのです。(使徒行伝 11:19-26)

第一回宣教旅行のはじまり

このアンテオケの教会から、バルナバとサウロは宣教旅行に送り出されます。また、その宣教旅行には、「マルコによる福音書」の著者だと伝えられているマルコも同行することになりました。

彼らは、アンテオケからセルキヤにくだり、そこから船でキプロス島へと渡り、島を巡回します。

使徒行伝では、ここから、サウロではなくパウロというギリシヤ・ローマ名が使われるようになります。

信じなかったユダヤ人による反対運動

さて、一行が船でパンフリヤのペルガへ渡ったところでマルコは一行と別れ、エルサレムに帰ってしまいます。

しかし、ふたりはさらに進んで、ピシデヤのアンテオケに行き、パウロが安息日にユダヤ人の会堂で奨励をすると、人々はパウロたちに留まるようにと願い、次の安息日には、全市から異邦人たちが神の言を聞きに集まりました。

これを見たユダヤ人たちはパウロの語ることに口汚く反対し、町の有力者たちを煽動し、パウロとバルナバを追放したので、彼らはイコニオムへと向かい、ユダヤ人の会堂で語り、ここでも多くのユダヤ人やギリシヤ人を導きました。

しかし、信じなかったユダヤ人が中心となって反対運動を起こし、パウロたちを石で打とうとしたので、彼らはルカオニヤの町々、ルステラ、デルベおよびその附近の地へ逃れ、引き続き福音を伝えながら、同じ経路でペルガまで戻り、アタリアにくだって、そこから船でアンテオケに帰りました。(使徒行伝 13:2-14:28)

異邦人も律法の遵守が必要か

ところが、ユダヤから下ってきた人々が、異邦人の兄弟たちにモーセの律法によらなければ救われないと説いたため、パウロ、バルナバらはエルサレムに上り、使徒たちや長老たちと共に、この問題について協議することになりました。

それまで、教会の信徒はすべてユダヤ人で、皆がモーセの律法を守っていましたので、新たに加わった異邦人たちにも、モーセの律法を守らせるべきだと、多くのユダヤ人が主張したのです。

しかし、ペテロはユダヤ人にさえできなかったことを異邦人に求めるのかと問いかけ、ヤコブが異邦人信徒は「偶像に供えて汚れた物と、不品行と、絞め殺したものと、血」とを避ければ良い(15:20)との判断を述べ、合意に至ったのです。(使徒行伝 15:1-29)

この決定のおかげで、異邦人に対する宣教は、さらに拡大していきました。

恵みによる救いを強調した「ガラテヤ人への手紙」

しかし、異邦人信徒の中には、ユダヤ人のように律法を行わなければ、本当の救いは得られない、と考える者もいました。そのような人々に向けてパウロが書いた手紙が「ガラテヤ人への手紙」です。

パウロは「ああ、物わかりのわるいガラテヤ人よ。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に描き出されたのに、いったい、だれがあなたがたを惑わしたのか」(ガラテヤ人への手紙 3:1)と言い、律法を行うことによって救われるのではなく、恵みによって救われることを強調しました。

律法を行う重要性を説いた「ヤコブの手紙」

ところが、同じ頃にイエスの兄弟ヤコブがユダヤ人の信徒に向けて書いたとされる「ヤコブの手紙」は、信じるだけでなく、律法を行う重要性を説いています。

これら「ガラテヤ人への手紙」と「ヤコブの手紙」の2つの手紙は、矛盾するようにも見えますが、手紙の宛先が異なっていることに注意して読み解く必要があります。

数千年も神に仕え、旧約聖書を生きて来たユダヤ人と、後から福音を聞いた異邦人。この違いは、新約聖書を学ぶ上での重要な鍵になると言えるでしょう。

次回予告

次回は、さらに広く地中海世界へと福音を伝えて行ったパウロの苦難と活躍について、ご一緒に学んでゆきましょう。

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