【聖書講座 #15】教会の誕生

この回のポイント

イエスの弟子たちは最初、復活を信じられませんでしたが、復活したイエスに出会い信じます。

イエスは弟子たちに最後の訓戒を与えた後、オリーブ山から天に上げられました。

その後、弟子たちは聖霊によって力を与えられ、イエスの教えを人々に力強く語っていきます。ペテロが語る「信じて悔改め、バプテスマを受ける」は、イエスを信じた人々がすべき行動を簡潔に示しています。

エマオ途上

前回は、日曜日の朝にイエスの墓が空になり、御使いが女たちにイエスの復活を告げた所までをお話ししました。

弟子たちのうちペテロは、イエスの墓が空になったことを確認しますが、皆がイエスの復活を信じたわけではありませんでした。

「ルカによる福音書」には、その時、エルサレムから西のエマオという町に向かって歩いていたふたりの弟子たちに起こった不思議な出来事が記されています。

彼らはイエスの死体が墓から消えたことについて話し合いながら歩いていました。

すると、そこにイエスご自身が近づいてきて「その話は、何のことなのか」と問われました。

この時、彼らは、それがイエスだとは気が付かず、墓から死体がなくなり、復活したことを証言する者がいることに困惑していると伝えると、

イエスは
「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」(ルカによる福音書 24:25-26)と言われ、旧約聖書全体を解き明かされました。

目的地のエマオに到着しても、イエスはまだ先に行こうとされたので、弟子たちはイエスに一緒に泊まるように勧めました。

そして、三人で食卓を囲んだとき、彼らはこの人物がイエスであることに気付くのですが、その瞬間にイエスの姿は見えなくなってしまいました。

復活したイエスが十一弟子に現れる

このふたりの弟子は、すぐにエルサレムに帰り、この出来事を十一弟子たちに伝えます。すると、その場にイエスが現われ、手と足とを見せ、焼いた魚一きれを皆の前で食べたので、彼らも復活を信じました。

「ヨハネによる福音書」には、その場に居合わせなかったトマスが、「わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」(ヨハネによる福音書 20:25)と言ったと書かれています。しかし、八日ののち、再び現れたイエスを見たトマスは、信じる人となりました。

また、大祭司カヤパの中庭で、イエスと一緒にいたことを三度も否認したペテロはどうなったでしょうか。

ガリラヤで再び弟子たちに現れたイエスはペテロに向かって「わたしを愛するか」と三度も問いかけます。

心をいためたペテロが「主よ、あなたはすべてをご存じです」と答えると、イエスは「わたしの羊を養いなさい」と言われ、さらに、ペテロがどんな死に方で神の栄光をあらわすかを示されました(ヨハネによる福音書 21:15-19)。

イエスが天に上げられる

「ルカによる福音書」の続編ともいえる「使徒行伝」は、イエスが復活後に地上にとどまっていた期間は40日だと記しています。ちなみに、「使徒行伝」の「使徒」とは、イエスが十二弟子を選んだ際に、彼らに与えた名でした。

イエスと弟子たちは再びエルサレムに行き、オリブ山の上に立ちました。弟子たちは「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」と尋ねました。

イエスは「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」と答えられ、彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなりました(1:6-9)

ペンテコステに聖霊がくだる

また、「聖霊がくだる時、あなたがたは力を受ける」というイエスの言葉は、その10日後に成就します。それはイエスの十字架上の死から50日目のことでした。「使徒行伝」は、聖霊が下った時の様子を伝えています。

ちょうどこの日はペンテコステと言われる七週の祭、シャブオットの日だったため、エルサレムには、あらゆる国々から信仰深いユダヤ人たちが上って来ていました。彼らの中には、物音に驚き惑う人や、新しい酒に酔っていると言う人もありました。

そこで、使徒たちのリーダーであったペテロは、他の使徒たちと共に立ち上がり、旧約聖書のヨエルの預言やダビデの言葉を引いて、人々に語りかけました。

その言葉に人々は強く心を打たれ、ペテロたちに「わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と問いかけます。

ペテロはこのように答えました。
「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい」(2:38)。

その日、ペテロの勧めに従ってバプテスマを受け、仲間に加わった人々は三千人ほどでした。

その後も多くの奇跡としるしとが、使徒たちによって次々に行われ、救われた人々が日々、仲間に加えられました。

最初の殉教者となったステパノ

こうして神の言は、エルサレムでますますひろまってゆきました。

ギリシャ語を話すユダヤ人であり、エルサレム教会の七人の執事のひとりとして選ばれたステパノは、信仰と聖霊に満ち、民衆の中で、めざましい奇跡としるしとを行っていました。

すると、「リベルテン」と呼ばれる人々が、民衆や長老たち、律法学者たちを扇動し、ステパノを捕えさせ、偽りの証人たちを立てて、大祭司の前に彼を連れて行かせました。

ステパノは、父祖アブラハムの話から説き起こし、ダビデやソロモンの話に至った上で、

「ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。…… あなたがたは、御使たちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」(7:51-53)と語ります。

それを聞いた人々は、大声で叫びながら、耳をおおい、ステパノを市外に引き出して、石で打ちました。

これに立ち会った人々は、ステパノを殺すことに賛成していた、サウロという若者の足元に自分たちの上着を脱いで置きました。

人々はステパノを石で打ち続け、ステパノは「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」(7:59)と、祈りながら息絶えました。

エチオピアの宦官

ステパノが最初の殉教者となった日、エルサレムの教会に対して大迫害が起り、使徒以外の人々は、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされてしまいます。

散らされた人々の中には、ステパノと同様に、エルサレム教会の執事として選ばれたピリポがいました。

ピリポが、サマリヤで神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝え始めると、町の人々は、ぞくぞくとバプテスマを受けました。

そして、ピリポは主の使から「エルサレムからガザへ下る道に出なさい」と言われたため、そこに出かけます。すると、礼拝のためエルサレムに上り、帰途についたエチオピア人の女王カンダケの高官である宦官に出会いました。

宦官は、「ほふり場にひかれて行く小羊のように……」という、イザヤ書の箇所を読んでいました。

宦官が、これはだれのことかと問うたので、ピリポはイエスのことを宣べ伝えました。

道を進み、水のある所に来た時、宦官は「わたしは、イエス・キリストを神の子と信じます」と言い、ピリポからバプテスマを受けました。その後、ピリポはいたるところで福音を宣べ伝え、カイザリアに到着しました。

ペテロによる二通の書簡

さて、使徒たちの中心人物として活躍したペテロは、新約聖書に2通の書簡を残しています。

はじめの「ペテロの第一の手紙」は、クリスチャンとして生きるべき道を教えた励ましの書と言えます。

続く「ペテロの第二の手紙」は、キリストの再臨と審判とを否定する、異端への排撃を目的として書かれたものと考えられています。

今回は、バプテスマを受けて、多くの人が救われたことをお話ししましたが、ペテロの2通の書簡には、ノアの洪水とバプテスマの関係について言及している箇所があります。

次回予告

今回、ステパノの殉教事件に登場したサウロという若者(またの名はパウロ)も、ある事件をきっかけにペテロと同様に、聖霊によってキリストの福音を宣べ伝える者となります。

それまでユダヤ人だけのものであった福音が、私たち日本人にまで伝えられたのは、パウロの大きな働きがあったからです。

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