【聖書講座 #14】最後の一週間

この回のポイント

イエスの十字架は、教会のシンボルマークです。力ある教えを語ったイエス・キリストが、捕らえられて死刑になる、というのは今日の私たちにとっては自明のことですが、弟子たちにとっては想定外の出来事でした。

彼らは、後に十字架の深い意味を理解するのですが、それは次回以降に学ぶことにして、ひとまず今回は、イエスが十字架の前に語った最後の教えと、事件の流れを学びましょう。

エルサレム入城

前回はガリラヤでの宣教について学びましたが、今回はイエスの公生涯のクライマックスともいえるエルサレムでの最後の1週間、「受難週」をご一緒に学んでゆきましょう。

律法によれば、ユダヤ人の男性は毎年エルサレムに上り、過越の祭を祝うことになっていました。

イエスも過越の祭を前に、ロバに乗ってエルサレムに入城しましたが、マタイはそれについて、ゼカリヤ書9:9の預言の成就だと言っています。

棕櫚の枝を持った人々は「ホサナ」と叫んでイエスを迎えました。「ホサナ」とは、ヘブライ語の「ホシア・ナー」、「救ってください!」という意味です。

さて、宮に入ったイエスは、両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえし、
「『わたしの家は、祈りの家ととなえられるべきである』と書いてある。それだのにあなたがたはそれを強盗の巣にしている」と、咎めました。

また、祭司長や律法学者たちは、宮の庭で癒しを行っているイエスに、子供たちが「ダビデの子にホサナ」と叫んでいる様を見てイエスを非難しようと試みますが、イエスは、「幼な子、乳のみ子たちの口にさんびを備えられた」(詩篇8:2)という聖句で応答しました。

ブドウ園のたとえ

イエスはこれから1週間のうちに、どんなことが起こるのか、いくつかのたとえ話で語っています。

まず、「マタイによる福音書」21章のブドウ園のたとえでは、農夫たちがブドウ園の主人の息子を殺してしまうという、イエスの死を示唆する内容とともに、祭司長やパリサイ人に対して警告を発しています。また、福音がユダヤ人以外の民族にも伝えられることを予告しています(21:33-46)。

婚宴のたとえ

続いて22章には婚宴のたとえがあります。王が王子のために婚宴を催したのに、そこ招かれていた人々は婚宴に出席しないばかりか、招待の知らせを持って来た王の僕を侮辱した上に殺してしまったというものです。

「婚宴」は、メシアとイスラエルの結婚を意味します。自分たちこそメシアを迎える役割を担っていると考えていたパリサイ人たちは、たとえの意味をすぐに理解し、イエスへの怒りを、さらに募らせました。

律法を成就するために来たイエス

「マタイによる福音書」5章でイエスは、「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである」と語っていますが、23章では、律法学者とパリサイ人に対して厳しい口調で非難しています。

パリサイ人たちは細かく厳密に律法を守るように人々に教えましたが、イエスは、偽善者はわざわいであると言い、エルサレムのために嘆きました。

ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。わたしは言っておく、『主の御名によってきたる者に、祝福あれ』とおまえたちが言う時までは、今後ふたたび、わたしに会うことはないであろう」。(マタイ 23:37-39)

十字架を通じた救いの暗示

26章のはじめには、イエスが弟子たちに十字架にかけられることを再度伝える場面の後で、祭司長たちや民の長老たちが、大祭司カヤパの中庭に集まり、イエスを殺す相談をしていることが記されています。

彼らは、ユダヤ人みんながイエスを信じるようになるばかりか、ローマ人が来てユダヤの土地も人民も奪ってしまう、と恐れていました。

そこで、大祭司カヤパは、「ひとりの人が人民に代って死んで、全国民が滅びないようになるのが、わたしたちにとって得」(ヨハネ11:47-50)だと言いました。

これは、十字架を通じた救いを暗示したものだと、ヨハネは付言しています。

進められる弔いの準備と最後の晩餐

また、ひとりの女がイエスの頭に香油を注ぎかけ、弔いの準備は進められてゆきます。

一方、十二弟子のひとりイスカリオテのユダは祭司長たちにイエスを引き渡す話を持ち掛け、銀貨30枚と引き換えに、イエスの逮捕に協力します。

さて、過越の祭の日の夕方、イエスと弟子たちは食事の席に着きました。

食事中にイエスは、
「あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」(26:21)と言われました。

ユダが裏切ることを、イエスは知っておられたのです。

そして、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われました。
「取って食べよ、これはわたしのからだである」(26:26)。

また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われました。
「みな、この杯から飲め。これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である」(26:28)

イエスは、その夜に自分が逮捕されて弟子たちがつまずき、逃げ去ると予告されました。

すると、ペテロが、「わたしは決してつまずきません」と答えましたが、

イエスは言われました。
「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」。

イエスの逮捕と死刑の宣告

食事を終えると、イエスは弟子たちと一緒にゲッセマネという所に行き、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである」と言い、離れた場所で、神に祈りを捧げました。

しかし、弟子たちはイエスの苦しみがわからず、寝入ってしまいます。

イエスが祈り終え、弟子たちのところへ戻って来ると、十二弟子のひとりのユダが、民の指導者や剣と棒とを持った人々と共にやって来ました。ユダはイエスに接吻しますが、それは逮捕の合図でした。

イエスが逮捕されると、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げ去ってしまいます。イエスは大祭司カヤパの所に連行され、裁判を受けました。

カヤパは「あなたは神の子キリストなのかどうか」と質問し、イエスが「あなたの言うとおりである」と答えると、大祭司は、イエスが「神を汚した」と言い、律法学者や長老もそれに同意し、死刑が宣告されました。

成り行きを見届けようとしたペテロ

ペテロは大祭司の家の中庭に入り、成り行きを見届けようとしますが、その場にいた人物たちにイエスと一緒だったことを指摘されると三度否認し、誓い始めました。

すると、すぐに鶏が鳴きました。ペテロはイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣きました。

イエスが十字架に架かる

夜が明けると、祭司長たち、民の長老たち一同は、イエスを死刑にするためにローマ総督のピラトに引き渡します。

一方、イエスを裏切ったユダは、イエスが罪に定められたのを見て後悔し、報酬の銀貨30枚を聖所に投げ込むと、首をつって死んでしまいました。

イエスはピラトの前に立たされ、「あなたがユダヤ人の王であるか」と問われると、「そのとおりである」と答えました。

ピラトは、イエスに罪がないことを理解します。そして、過越の祭の日には罪人をひとり、恩赦にして釈放することになっていたので、ピラトはイエスを赦そうとしました。

ところが、群衆が「(イエスを)十字架に付けよ」と言ったため、バラバという囚人がゆるされ、イエスが処刑されることになりました。そして、イエスは、ゴルゴタという刑場まで引いていかれました。

イエスは他の2人の罪人と共に十字架にはりつけ(磔)にされ、「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」という罪状書きが付けられました。イエスは十字架上で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫びます。それは、詩篇22篇の冒頭の言葉でした。

わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。…まことに、犬はわたしをめぐり、悪を行う者の群れがわたしを囲んで、わたしの手と足を刺し貫いた。わたしは自分の骨をことごとく数えることができる。彼らは目をとめて、わたしを見る。彼らは互にわたしの衣服を分け、わたしの着物をくじ引にする。しかし主よ、遠く離れないでください。わが力よ、速く来てわたしをお助けください。…地の誇り高ぶる者はみな主を拝み、ちりに下る者も、おのれを生きながらえさせえない者も、みなそのみ前にひざまずくでしょう。子々孫々、主に仕え、人々は主のことをきたるべき代まで語り伝え、主がなされたその救を後に生れる民にのべ伝えるでしょう。(詩篇 22篇)

イエスの死と復活

十字架刑はとても残虐なもので、普通は罪人が何日も十字架の上で苦しむのですが、イエスはその日の午後3時頃に息を引きとられました。

その日は、昼の12時から地上の全面が暗くなり、イエスが絶命すると同時に、神殿の幕が裂ける異変が起こり、地震が起こったと聖書は記しています。

十字架の周りでは、ガリラヤから従ってきた人たちが悲嘆にくれながらその様子を見守っていました。その中にはマグダラのマリヤなど、多くの女性たちがいました。

イエスの死体を引き取ったのは、資産家だったアリマタヤのヨセフでした。彼はイエスの遺体をきれいな亜麻布に包み、新しい墓に納め、そして大きい石をころがして墓の入口を閉じました。

翌日は安息日だったため、イエスの弟子たちは誰も墓を訪れませんでした。

安息日が終って、週の初めの日、つまり日曜日の明け方に、マグダラのマリヤたちが、墓を見に行きますと、主の使が天から下って、墓の入口にあった石をわきへころがしたため、大きな地震が起こります。

そして御使は女たちに、イエスが復活したことを告げたのです。

次回予告

では、復活したイエスが何をされたのか、次回に学ぶことに致しましょう。

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