【聖書講座 #13】ガリラヤでの宣教
この回のポイント
今回は、イエスの宣教のハイライトを学びます。この回で学ぶ個所には多くの教えや事件がありますが、中でも、ラザロの復活は重要です。
この講座の第1回では、アダムの罪により「死」が入って来たことを学びましたが、この事件を通して、それが解決される希望が示されるのです。
イエスは何度も「命」について語っており、ラザロの復活の事件でも「わたしはよみがえりであり命である」と宣言していますが、それは永遠の命を意味しているのです。

安息日をめぐる論争
前回は、イエスが宣教を開始してから十二弟子の召命までを学びました。今回は、引き続き「マタイによる福音書」を中心に、その後の宣教活動のハイライトをお話ししましょう。
12章には安息日に関する論争が記録されています。一週間に一度、人々が休息するために与えられていたのが「安息日」でしたが、その遵守はパリサイ人とイエスの間で、たびたび争点となっていました。
そのころ、ある安息日に、イエスは麦畑の中を通られた。すると弟子たちは、空腹であったので、穂を摘んで食べはじめた。パリサイ人たちがこれを見て、イエスに言った、「ごらんなさい、あなたの弟子たちが、安息日にしてはならないことをしています」。(マタイ12:1-2)
空腹の旅人が、道を歩きながら麦の穂を摘んで食べることは、当時、罪ではありませんでした。問題は、穂を摘むという行為が、「収穫」という「労働」であり、安息日の禁止行為だったことです。
それに続く論争でイエスは「人の子は安息日の主である」(12:8)と宣言し、安息日は人を苦しめる日であってはならないと説きました。
それに続く箇所では、安息日に人を癒す行為の是非が問題になっています。イエスは「安息日に良いことをするのは、正しいことである」(12:12)と言い、安息日に人を癒しました。パリサイ人たちはこれに異議を唱えます。
「天国のたとえ」
次の13章は「天国のたとえ」と呼ばれる箇所です。イエスは多くのたとえ話を語っていますが、「種まきのたとえ」は最も良く知られた、たとえのひとつです。
「見よ、種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞くがよい」。(マタイ 13:3-9)
皆さんは、これら4種類の土地は何だと思われますか。イエスご自身の解き明かしによれば、種(たね)が福音の言葉で、土地は4種類の人々です。
「道ばた」とは聞いても悟らない人のこと、「良い地」とは聞いて悟る人のこと、「土の薄い石地」と「いばらの地」は、その中間の人々を意味します。
バプテスマのヨハネが処刑される
14章には、領主ヘロデがバプテスマのヨハネを処刑する記事があります。
ある時、領主ヘロデが誕生日の祝をしていると、妻のヘロデヤの連れ子が上手に舞をまい、ヘロデは喜んで、彼女の願うものは、なんでも与えようと誓います。
すると、少女は母にそそのかされて、バプテスマのヨハネの首を所望しました。ヘロデヤは結婚のことでバプテスマのヨハネに批判され、彼を恨んでいたからです。
ヘロデは困惑しますが、バプテスマのヨハネの首を切らせ、盆に載せて少女に渡しました。少女の名前は聖書には記されていませんが、その他の記録から「サロメ」だと言われています。
「五千人の給食」
さらに14章には、バプテスマのヨハネが殺されたことを知ったイエスが、ひとりで寂しい場所へと向かったと、書かれています。
群衆が彼のあとを追ってきたのでイエスは病人をいやし、そのうちに夕方になってしまいました。人里から離れ、食べ物を準備することも容易ではありませんでしたので、イエスは、そこにあった五つのパンと二ひきの魚を祝福し、弟子たちに配らせます。
すると不思議なことに、みんなが食べて満腹しただけでなく、さらにパンくずの残りを集めると、十二のかごにいっぱいになったのです。
この事件は「五千人の給食」と呼ばれ、4つの福音書すべてに記録された数少ない事件のひとつです。
失敗を恐れず、愛されたペテロ
その後、イエスは弟子たちを船に乗り込ませ、向こう岸へ渡らせます。
そして、自分はひとりで祈るために山に登りました。弟子たちの乗った船は逆風にあおられて湖上で立ち往生してしまいます。
イエスは夜明けの4時頃、湖上を歩いて弟子たちの方へ向かいました。
ペテロはそれを見て「わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」と願い出ます。イエスに命じられてペテロも水の上を歩き始めるのですが、途中で恐れたため溺れかけ、イエスに助けられます。
ペテロは失敗を恐れず、一歩踏み出す性格で、イエスに愛されていました。16章には、ペテロがイエスを「生ける神の子キリスト」だと証言する箇所があります。
イエスはそれを聞き、「岩」の上に教会を建てよう、と言われました。それは、イエスの死後、教会の指導者に任命することを意味しました。
ペテロは本名がシモンでしたが、岩を意味する「ペテロ」という別名で呼ばれました。ペテロは最初に弟子になった人であり、弟子たちの中で最年長だったと言われています。
しかし、ペテロはキリストの役割について、この時はまだ、深く理解していませんでした。
イエスは自分がエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえると語られました。
すると、ペテロは「とんでもないことです」と言い、イエスをいさめようとするのですが、イエスは「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ」(16:23)と、強い口調で彼を叱りました。
罪の赦し
18章には罪の赦しに関する興味深いたとえ話が書かれています。莫大な負債を抱えたある僕が、王に負債を赦してもらうのですが、その僕は仲間に貸したわずかな負債を赦しません。
それを知った王は、僕を呼んでその莫大な負債を返すまで獄に閉じ込めた、というのです。
聖書において罪と負債は同義語です。神から罪を赦された者は、隣人の罪をも赦すべきだと、イエスは教えているのです。
これは主の祈りの中の「我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」という一節にも表れています。
「ラザロの復活」
ヨハネによる福音書11章には、この時期に起こった「ラザロの復活」という事件が記録されています。
エルサレムにほど近い、ベタニヤに住むマルタとマリヤの姉妹は、イエスを深く敬愛していました。
ある時、彼らの兄弟ラザロが病に倒れ、マルタはイエスを招いて癒してもらおうとしますが、ラザロはイエスの来訪を待たずに死んでしまいました。
イエスが彼らの家に到着したのは、ラザロが墓に葬られて4日経ってからの事でした。
マルタに会ったイエスは「わたしはよみがえりであり命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる」(ヨハネ11:25)と言いました。
そして、彼女たちと共にラザロの墓を訪れたイエスは、墓の入口の石を取りのけさせ、神に祈ると、大声で「ラザロよ、出て来なさい」と呼び掛けたのです。
すると、ラザロは手足を布で巻かれたまま墓から出て来ました。
罪人ひとりの悔い改め
また「ルカによる福音書」には、イエスがこの時期に語られたいくつかのたとえ話が収められています。そのひとつを読んでみましょう。
「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。(ルカ 15:4-7)
次回予告
イエスはガリラヤを中心に3年余り宣教をされましたが、ついに終わりの時が迫ってきました。
イエスは再び、自分が十字架上で死ぬことを弟子に予告してエルサレムに向かうのですが、弟子たちはそれを悟ることができませんでした。
次回は、マタイによる福音書の21章から、新約聖書の最大の山場ともいえる、エルサレムでの最後の一週間について学んでゆきましょう。