【サムライ #11】新渡戸稲造
この記事のポイント
・聖書に懐疑的だった頑固者、新渡戸稲造
・長男の死で信仰が強められた
・強さの秘密は内在される神の力!
イントロダクション
『武士道』の著者として知られる新渡戸稲造。国際連盟では事務次長を務め、また教育家としては東大、京大で教壇に立った、まさに国際的エリートです。
そんな彼の原動力となっていたのが聖書の教えでした。今回は新渡戸とキリスト教の関係についてご紹介してまいります。
ポイント1:聖書に懐疑的だった頑固者、稲造
新渡戸は1862年、現在の岩手県盛岡市に藩士 新渡戸十次郎の三男として生まれました。彼の父は御用人にまでのぼりつめましたが、藩の財政立て直しに奔走したことが裏目に出て蟄居の身となり、失意のあまり病没してしまいました。
そんなわけで新渡戸は内村鑑三らと一緒に札幌農学校に第2期生として入学しました。新渡戸は頑固者として知られており、聖書にも懐疑的で、しばしば同期生と論争したと言われています。
ところが、クラーク博士の「イエスを信ずる者の誓約」にサインしたあと、新渡戸は一変します。そして、翌年には洗礼を受けるのです。
ポイント2:長男の死で強められた信仰
新渡戸はその後アメリカに留学し、クエーカーの教会に所属しました。1891年1月には同じくクエーカーのメアリーと結婚。そして3月には札幌農学校の教授として迎えられ、翌1892年には長男の遠益(とおます)が誕生します。
ところが、遠益は誕生後まもなく天に召されてしまいました。新渡戸は悲しみに包まれ、義理の弟にこのように書き送っています。
苦悩を通してこそ私たちは「天の王国」に入るのだ、キリスト教は苦悩する人類のために「苦悩する救世主」が創りたもうたもので、今も変わらない……(『新渡戸稲造全集』第22巻、教文館、1986年。)
ポイント3:強さの秘密は 内在される神の力!
長男の死から約2年後の1894年1月、新渡戸らは札幌で遠友夜学校(えんゆうやがっこう)をはじめました。それは貧困児童や学校に行けなかった人々のための学校でした。
新渡戸らが苦しみを乗り越え、愛を実践していく原動力となったのは彼らの信仰でした。クエーカーの信仰の根本理念とされる「内なる光」について、新渡戸は「我ら一人一人の中に住む自分以外の力、人間以上の人格の内在」と説いています。
新渡戸は人間以上の人格、つまり神の力によって、悲しみを乗り越えることができたのでしょう。そして、光の子として、光の当たらない人々にも目を向け、「光が当たらない闇」を照らそうとしたのです。
まとめ & 次回予告
以上、新渡戸稲造のキリスト教について、3つのポイントをご紹介しました。最初、新渡戸は聖書にも懐疑的で、しばしば同期生と論争していました。しかし、イエスをキリストとして受け入れ、自身の内で働いていただくことを選んだことで、悲しみを乗り越え、光の子として生きることができました。
次回は、福沢諭吉とキリスト教の関係に迫ってまいります。どうぞお楽しみに!