【サムライ #10】内村鑑三と回心体験!
この記事のポイント
・没落武士の子!?内村鑑三の生い立ち
・半強制で渋々、信仰の道に
・シーリー博士に出会い、回心!
イントロダクション
前回はクラーク博士がキリスト教の精神に基づいて、札幌農学校での教育に取り組んだことをご紹介しました。しかし、すべての学生がクラークの教えを好意的に受け止めた訳ではありませんでした。
今回はキリスト教を日本的に受容し、教会制度などの必要性を認めない無教会主義を唱えた内村鑑三の回心体験を中心にご紹介してまいります。
ポイント1:内村を支えていた儒教の教訓と神社
内村鑑三は1861年、高崎藩士内村宜之(うちむら よしゆき)の長男として、江戸小石川(こいしかわ)の藩邸内に生まれました。内村は自伝『余は如何にして基督信徒となりしか』で、父から受けた儒教の影響について語っています。
藩主には忠義を、親と師には忠誠と尊敬とを、これがシナ道徳の中心題目である。……彼の最も高貴な死所は主君の馬前であり、おのが屍が君の馬蹄にかけられることは、彼にとって無上の栄誉であった。
また、彼は神社にも義理堅かったようで、どの神社にも欠かさずお参りをしていたようです。
ポイント2:無理矢理はじまった信仰生活
さて、藩に仕える下級武士だった鑑三の父は、明治に入るとリストラされてしまいました。少ない経済的負担で通える学校だったこともあってか内村は17歳で札幌農学校に進学します。
そんな内村を札幌で待ち受けていたのは、クラーク博士の薫陶を受けた第一期生たちです。彼らは下級生に次々と「イエスを信ずる者の誓約」に署名させていきました。そして、最後に内村ひとりが残ります。
内村は郊外の神社で、学校内の新しい宗教熱を速やかに消し止め、愛国の大義に関する小さき努力を助け給えと祈りました。しかし、鎮守の神からの応答はありません。
重い気持ちで宿舎に戻った内村は、半強制的に「イエスを信ずる者の誓約」に署名をさせられてしまうのです。
ポイント3:シーリー博士に出会い回心!
署名を半ば無理強いされた内村ですが、その心境に変化が訪れ、宇宙には唯一の神がいることを悟りました。
宇宙には唯一の神がいますのみで、…………このキリスト教的一神教が私のすべての迷信を根底から断ち切ったのである。
しかし、内村の心は依然空虚で、平安がありません。内村はアメリカに渡りますが、そこでもキリスト教国の現実に失望します。そんな内村でしたが、アマースト大学の学長のシーリー博士に出会いを通して、宇宙に満ち溢れる神の愛に触れ、心に平安を得たのです。
神の恵みは宇宙に満ち満ちているから、われらはわれらの心を開くだけで、神の満ちあふれる恵みにおどり入っていただくことができる……、神のほかには誰一人としてわれらをきよめ得るものはない……
まとめ & 次回予告
以上、内村鑑三とキリスト教について、3つのポイントをご紹介しました。彼は武士の家庭に育ち、儒教や神道の影響を強く受けていましたが、札幌農学校で不本意ながら「イエスを信ずる者の誓約」に署名させられてしまいます。しかし、シーリー博士に出会い、宇宙に満ち溢れる神の愛に触れ、心に平安を得たのです。
次回は、『武士道』の著者として有名な、新渡戸稲造とキリスト教の関係に迫ってまいります。どうぞお楽しみに!