【ワンポイント解説】聖書の預言とは
この記事のポイント
・預言者の役目は時代で変わる
・預言者たちは社会の不正を糾弾した
・預言はただの予告ではなく、神と人との対話の方法!
未来を言い当てることを「予言」と言いますが、聖書で使われる「預言」という漢字は神から人へのメッセージを意味します。
聖書の約3分の1は預言書で、それらは「預言者」の名を冠した書です。
ポイント1:時代で変わる預言者の役目
[国を指導した預言者たち]
聖書に登場する初期の預言者の一人がサムエルです。彼の名前がついた「サムエル記」という2巻の書が旧約聖書に収録されています。それはサムエルがイスラエルという国を指導し、最初の2人の王を任命した記録です。
その後も、ナタンという預言者が現れ、イスラエル王国の政治に大きな影響を与えました。
[政権を批判した預言者たち]
一方、イスラエル王国が分裂した後に登場したイザヤ、エレミヤ、アモスなどは、政権を手厳しく批判したため、しばしば迫害を受けました。彼らは「預言書」と呼ばれる多くの書物を書き残しています。
なお、“預言者”は預言書を書き残さなかった「前古典的預言者」と「古典的預言者(記述預言者)」に大別されます(エリヤのような中間的預言者も存在)。
[政治指導者を励ました預言者たち]
バビロン捕囚から帰還する時期になると、預言者たちは再び政治指導者を支える側に回ります。旧約聖書の最後の3つの書を書いたハガイ、ゼカリヤ、マラキはいずれも困難に直面する政治指導者を励ましました。
新約聖書の時代にも、多くの預言者たちが活動しました。新約時代の預言者は、社会の人々ではなく、主に教会の人々に語りかけています。
ポイント2:社会の不正を糾弾した預言者たち
旧約聖書の預言書は、多くの人が想像するような、謎めいた未来の予告ばかりではありません。その多くの部分は、社会の不正を厳しく糾弾する内容です。
あなたがたは身を洗って、清くなり、わたしの目の前からあなたがたの悪い行いを除き、悪を行うことをやめ、善を行うことをならい、公平を求め、しえたげる者を戒め、みなしごを正しく守り、寡婦の訴えを弁護せよ。(イザヤ書1:16-17)
預言者たちは叫びました。「宗教行為は無益だ。それよりも、社会的弱者を助けなさい」。そして「このままでは、民族全体に神の怒りが下る」と警告し、恐ろしい災害を予告したのです。
ポイント3:預言はただの未来の予告ではない!
[悔い改めを説く]
ですから、災害の預言は単なる未来の予告ではありません。たとえばヨナという預言者は、ニネベという町に行って「40日後に町は滅びる」と預言しました。ところが、人々が悔い改めたので、神様は町を滅ぼされなかったのです。神様は、予告通りに災害を起こすことではなく、人々の悔い改めを求めておられるのです。
「なぜなら、わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災を思いかえされることを、知っていたからです。」(ヨナ書4:2)
ヨナは、神様が災害を予告しても、それを思いとどまられることを、知っていました。これは、聖書の神様の重要な性質です。
[執り成し]
さらに、神様に「そんなひどいことは、やめて下さい」とお願いするのも、預言者の重要な使命です。それを聖書では「執り成し」と言います。聖書で最初に「預言者」という言葉が使われるのは、創世記20:7です。神はアビメレクという人に、アブラハムに祈ってもらうようにと勧めました。
いま彼の妻を返しなさい。彼は預言者ですから、あなたのために祈って、命を保たせるでしょう。もし返さないなら、あなたも身内の者もみな必ず死ぬと知らなければなりません」。(創世記20:7)
預言者の祈りは、必ず神様に聞いてもらえるわけではありませんが、預言者の祈りで神様が災いを思いとどまられた、という例は聖書に何度も登場します。
そのいなごが地の青草を食い尽した時、わたしは言った、「主なる神よ、どうぞ、ゆるしてください。ヤコブは小さい者です、どうして立つことができましょう」。主はこのことについて思いかえされ、「このことは起さない」と主は言われた。(アモス書7:2-3)
ポイント4:神と人とのコミュニケーション
聖書の預言は、単純な未来の予告ではなく、神様から人へのメッセージです。神様は時に、未来に起こることを予告されますが、その中には、神様が実行したいことと、あまり実行したくないことがあります。預言者は、その神様の気持ちをくんで、人々に伝える役目でした。
そして人々は時に悔改め、また、悔い改めが足りない時は、預言者たちが決死の「執り成し」を試みて、神様の心を動かそうとしたのです。
まとめ
・預言者の役目は時代で変わる
→ 国を指導した預言者たち
→ 政権を批判した預言者たち
→ 政治指導者を励ました預言者たち
・預言者たちは社会の不正を糾弾した
・預言はただの予告ではなく、神と人との対話の方法!
→ 人々に悔い改めを説く
→ 神が災いを思い返されるよう、執り成しをする
聖書預言は、ドラマの脚本のように、書かれたとおりに順に成就するわけではありません。神様の心と人々の心、そして熱く語る預言者の執り成しが、ダイナミックに交錯するのが聖書の預言書の味わいです。私たちと一緒に預言書を学んでみませんか?