【ワンポイント解説】神が愛した人々
この記事のポイント
・ダビデは罪を犯しても愛された
・イエスを否認したペテロも教会の指導を任された
・イエスの弟子たちを迫害していたパウロも赦された
神はどんな人を愛する?
正しい人と、罪を犯す人と、どっちが神に愛されるでしょうか。聖書を読んで行くと、神が正しい人を愛される、という教えと、罪人を愛される、という教えが見つかります。一見矛盾する教えを含んでいるのが聖書の面白さです。
では、本当に神は罪人を愛されるのでしょうか。3人の例を取り上げてみましょう。
ケース1:ダビデ王
一人目は、多くの素晴らしい詩を残したダビデ王です。彼は聖書の中でも最も神様に愛された人の一人でしょう。
しかし彼は、武装集団を引き連れて行動し、裕福な人を脅迫しようとしました。また、多くの戦争を行って血を流し、美しい女性を自分のものにするために、部下を殺したのです。
神様は怒って罰を与えましたが、それでもダビデが死ぬ日まで祝福を与えました。
ケース2:ペテロ
次は、イエスの十二人の弟子たちのリーダーだったペテロです。彼はイエスが逮捕された後、3回もイエスを知らないと言い、イエスを裏切ってしまいました。
そして復活の後、イエスから「あなたは私を愛するか」と3度も聞かれて、答えに困っています。それでも、イエスが最も信頼して、教会の指導を任せたのはペテロでした。
ケース3:パウロ
最後は、新約聖書の3分の一を書いた使徒パウロです。彼はイエスの弟子たちを迫害するという大罪を犯しましたが、神はその罪をすべて赦し、彼を使徒とされました。
結婚式でよく朗読される「愛の賛歌」(Ⅰコリント13)は、パウロが書いたものです。
罪人を招くために来たイエス
イエスは正しい人ではなく、罪人を招くため(マタイ9:13)に来たと言っています。そして、九十九匹の羊を野原に残して、迷った一匹を探しに行く羊飼いの例話を語られました。
もしあなたが、人生の道をどこかで間違えたと感じておられるなら、イエス・キリストはあなたのために来られたのです。彼からの手紙である聖書を読んでみて下さい。きっと答えが見つかるはずです。
まとめ
・ダビデは罪を犯しても愛された
・イエスを否認したペテロも教会の指導を任された
・イエスの弟子たちを迫害していたパウロも赦された
イエスが「正しい人ではなく、罪人を招くため」(マタイ9:13)に来たと言っているとおり、神は正しい人だけでなく、罪人をも愛されます。