【ワンポイント解説】バビロン捕囚とは
この記事のポイント
・南のユダ王国が滅亡し、民はバビロンに連行された
・民はバビロンで新たな信仰形態を発展させた
・その後、民は預言どおりエルサレムに帰還した
神を信じなかったユダヤ人たちは、国を失いバビロンに連行されましたが、神は約束通りに彼らをイスラエルの地に帰らせました。
バビロン捕囚とは?
バビロン捕囚の年数は何年でしょうか?
70年、700年、2600年?
神を信じなかったユダヤ人たちは、国を失ってバビロンに連行されますが、その70年後に神は約束どおりに彼らを再びイスラエルの地に帰らせます。
「人々は忠実でなかったが、神は忠実だった」-それがバビロン捕囚の物語です。
王国分裂から南王国の滅亡(バビロン捕囚)
イスラエルの国は紀元前922年ごろ南北に分裂しました。北のイスラエル王国は紀元前722年頃に滅び、紀元前586年には南のユダ王国も新バビロニア帝国に滅ぼされ、人々はバビロンに連行されます。
信仰の中心地だったエルサレムの神殿も失ったユダヤ人たちは、シナゴーグで書物を学び、律法を守るという新たな信仰形態を確立していきました。
70年後に帰還
彼らが学んだ書物の中には、70年の後、神がユダヤ人を約束の地に帰して下さる、とする約束も記されていたのです。そして彼らはその約束どおりに70年後にエルサレムに帰還します。
ディアスポラと救済への希望としてのバビロン捕囚の物語
ところが、帰還から500年あまり後の紀元70年、ユダヤ人たちはローマ軍によって再び国を追われ、世界中を放浪することになりました。
彼らはさまざまな迫害にあいましたが、バビロン捕囚からの帰還のストーリーが、救済への希望となったのです。そして1948年、ユダヤ人たちが約束の地に帰り、国を作りました。
捕囚の地で書かれたバビロニア・タルムード
聖書に詳しい方々の間でも、あまり知られていないストーリーがあります。実はバビロン捕囚は70年では終わったわけではありません。
エズラやネヘミヤに率いられてバビロンからエルサレムに帰還したのは、バビロンにいたユダヤ人たちの一部だけでした。その後も、バビロンには多くのユダヤ人たちが暮らし続けていました。
そして紀元70年にローマがエルサレムを滅ぼすと、バビロンがユダヤ人の文化的な中心地となりました。
皆さんは、「タルムード」という書物のことを聞いたことがあるでしょうか。タルムードは宗教書ですが、ユダヤ人のビジネスマンも、知恵が詰まった「実用書」としてタルムードを学んでいます。
現在、一般的にタルムードといえば、バビロンで書かれたバビロニア・タルムードのことを指します。
バビロンから帰還しなかったユダヤ人、2600年後の帰還
バビロンは、今のイラクに当たりますが、この地域ではその後千年以上もユダヤ人たちが暮らし続けていました。
しかし、1948年にイスラエルが独立すると、イラク政府は、10万人以上いたユダヤ人たちを迫害、追放する政策を取り、1952年までに約12万人がイスラエルに帰還しました。彼らの救出作戦は、バビロン捕囚からの帰還の指導者にちなんで「エズラ・ネヘミヤ作戦」と呼ばれました。
ところで、イスラエル建国の時、多くのパレスチナ人がイスラエルを追われましたが、それとほぼ同数のユダヤ人がアラブ諸国からも追放され、イスラエルに帰還しています。これは知っておくべき重要な事実です。
その後もイラクには1万人余りのユダヤ人が住んでいたのですが、何度かに分けて帰還作戦が行われ、ほとんど全員が帰還しました。バビロン捕囚は2600年間、続いたとも言えるのです。
まとめ
・紀元前586年に南のユダ王国が滅亡し、民はバビロンに連行された
・民はバビロンで新たな信仰形態を発展させ、70年後にエルサレムに帰還
・その後、ディアスポラ(離散)の歴史も経て、1948年にイスラエル建国
・約2600年ぶりで帰還したイラクのユダヤ人も!?
ユダヤ人たちは先祖の土地に、もう一度帰るという民族的な希望を、何千年も持ち続けました。みなさんは、そんな「ふるさと」がありますか。