【キリスト教史講座 #03】西欧キリスト教の歴史(III)

この回のポイント

1. 各地で始まった改革の動き
2. 旧教と新教の対立と世界宣教
3. 啓蒙思想から政教分離へ

はじめに

前回は、東西教会の分裂や、ペストの流行によってカトリック教会の権威が失墜し、改革の気運が高まった所までを学びました。

今回は、宗教改革からニューイングランドにおける大覚醒とアメリカ合衆国独立までのキリスト教の歴史を学びます。

1. 各地で始まった改革の動き

西ヨーロッパで千年以上続いたカトリック教会のいわば独占的な状態は、プロテスタントや聖公会の登場により、終わりを告げます。

「プロテスタント」とは、カトリック教会に抗議し、分離した諸教派の総称で、新教とも呼ばれます(その信徒は新教徒)。聖公会はプロテスタントとカトリックの中間的特徴を持ち、「中道の教会」を自認する教会です。

ここでは、プロテスタントのルター派とカルヴァン派、そして聖公会による改革の動きを扱います。

 ●  ルター派とドイツで始まった改革

教会改革の動きは14、15世紀から見られましたが、「宗教改革」というと、一般的には1517年のマルティン・ルターによる95箇条の論題 発表に始まる一連の動きを指します。

当時、教皇レオ10世は「贖宥状」、いわゆる「免罪符」を発行していました。それは「お金を払えば罪が赦される」といった認識を与えるものでした。

ルターはこれに反対し、人は信仰によってのみ正しい者とされるという「信仰義認論」や、信徒は誰でも直接神とつながれるという「万人祭司主義」を主張しました。彼はカトリック教会から破門されますが、その思想は都市部を中心に浸透しました。

その後、オスマン帝国の脅威が迫る中、ドイツはルター派に譲歩し、アウクスブルクの和議(1555年)を成立させます。これにより、領主はカトリック教会かルター派かを選択できるようになりました。

 ●  スイスではカルヴァン派が活躍

スイスのチューリヒでは、司祭ウルリヒ・ツヴィングリが宗教改革を開始します。また、ジュネーヴでも、フランス出身のジャン・カルヴァンらが急進的な改革を推進しました。

カルヴァンの思想は、神の支配を強調する「予定説」や、信徒が教会を運営する「長老主義」を特徴とし、ヨーロッパ各地に広がります。

 ●  イングランド国教会の成立

イギリスの宗教改革は、国王ヘンリー8世の離婚問題に端を発します。カトリックは離婚を認めなかったので、1534年に国王はイングランド国教会をカトリックから分離独立させ、妻と離婚しました。

後継者のエドワード6世は、国教会の教義をプロテスタント風に改革しましたが、その後継者のメアリ1世はカトリックとの関係を回復しました。

その後、エリザベス1世の下で確立したのが、プロテスタントの教義とカトリックの制度を併せ持ったイングランド国教会です。イングランド国教会は「聖公会」とも呼ばれます。

2. 旧教と新教の対立と世界宣教

新教徒と旧教徒の宗教戦争がヨーロッパ各地で起こります。この対立は、大航海時代の中で、キリスト教を世界宣教に向かわせました。

 ●  対抗宗教改革とカトリックの世界宣教

危機感を募らせたカトリック教会は、プロテスタントとの和解を目指して、トリエント公会議(1545-1563)を開催します。

しかし、ここで明確にされたのはプロテスタントへの対抗姿勢でした。こうして、カトリック教会の刷新を目指す「対抗宗教改革」がおこります。

時はまさに、大航海時代の始まり。カトリック教会内に設立されたイエズス会は、世界宣教に力を入れ、ラテンアメリカや中国などで影響力を拡大しました。彼らの働きについてはこの講座の第6回で学びましょう。

 ●  三十年戦争とピューリタン革命

ドイツではアウクスブルクの和議以降も諸侯の教派対立が続いていました。そして、1618年、旧教を強要したハプスブルク家に新教徒が反抗し、三十年戦争が勃発します。

新教徒が勝利した結果、今度はカルヴァン派を含む新教徒の信仰が認められ、宗教戦争の時代は終りを告げました。

三十年戦争に関与しなかったイギリスでは、カルヴァン派の影響を受けたピューリタンと呼ばれる新教徒が国教会、国王の専制政治への不満を強め、ピューリタン革命(1642年)を起こします。

彼らは王党派を破りますが、結局1660年には王政と国教会が復活しました。

 ● アメリカに進出したピューリタン

ピューリタン革命以前の1620年、宗教弾圧を恐れてイギリスから北アメリカ東部に入植した人たちもいました。いわゆる「ピルグリム・ファーザーズ」です。信徒の自主性を重んじる彼らは「会衆派」と呼ばれます。

3. 啓蒙思想から政教分離へ

ヨーロッパでは、教会や聖書の教えよりも、経験的な知識や理性を重んじる思想が拡大します。それにより、教会と国家を分離する、いわゆる「政教分離」が進みました。

 ● 啓蒙主義と信仰復興

17世紀後半からヨーロッパで拡大した啓蒙主義は、キリスト教の権威を離れ合理的な世界観を提示しました。

一方で、1720年代から30年代にかけて、信仰復興を求める運動も各地でおこります。ツィンツェンドルフ伯爵の援助を受けたモラビア兄弟団や、イギリス国教会内部でジョン・ウェスレーにより始められたメソジスト運動は、その代表例です。これらもプロテスタントの流れに属します。

 ● フランスの絶対王政と革命

フランスではカルヴァン派の信徒「ユグノー」がカトリック教会と対立し、激しい弾圧を受けます。

1643年に絶対王政が成立すると、カトリック教会が事実上の国教とされますが、1789年のフランス革命により、教会と国家は分離されます。

しかし、国民がカトリック教会の復興を望んだため、1801年に関係が修復されました。それ以降、フランスでは1905年の政教分離法成立まで、カトリック教会と国家の密接な結びつきが維持されます。

 

 ● 大覚醒とアメリカ合衆国の独立

1740年代、アメリカのニューイングランドでは、大覚醒と呼ばれる信仰復興運動が起こりました。その後も同様の運動が起きたため、これを「第一次大覚醒」とも呼びます。

また、イギリスとの独立戦争を経て、1776年にアメリカ合衆国が建国されると、政教分離と宗教の自由が保障されました(※アメリカ合衆国の独立に伴い、「米国聖公会」成立。英国領外初の独立した聖公会に)。

これにより、イギリスの支配下にあった聖公会は信徒を失い、バプテスト派やカトリック教会が教勢を伸ばしました。

まとめ

・16世紀に宗教改革が始まった後、新教徒と旧教徒の対立は続き、宗教戦争が頻発しました。
・17世紀に啓蒙時代が始まると、聖書や神学に代わり、経験に基づく知識と理性を重んじる思想が拡大します。
・そして18世紀に独立したアメリカ合衆国は、プロテスタントの新たな中心地となって行きます。

次回は産業革命から第二次世界大戦後までの近現代キリスト教の歴史を解説します。どうぞお楽しみに!

SKKの聖書講座のご案内

SKKでは聖書講座を開講しております。より詳しい内容も学んでいただけますので、お気軽にお問い合わせください。

 ●  お問合せフォーム

 ●  LINE公式アカウント

 ●  メール

受講方法や開講日時等についてご案内させていただきます。

ページトップへ