【サムライ #01】幕末維新のサムライが読んだ聖書

この記事のポイント

・幕末維新の影なる立役者はオランダ人宣教師!?
・オランダ語と漢文はサムライの心得
・サムライが読んだ「漢訳聖書」とは?

イントロダクション

世界一のロングセラーで、またベストセラーとも言われる聖書は、世界の歴史を動かしてきた書物です。日本も、その例外ではありません。なんと、激動の時代であった幕末から維新にかけて、日本の未来を切り拓いたサムライたちも、聖書を読んでいたのです。

初回となる今回は、サムライたちが初めて聖書に触れることになった時代に迫ってまいります。

ポイント1:幕末維新の影なる立役者!?フルベッキ

1859年、徳川幕府は鎖国を終え、長崎、横浜、函館の港を開きました。そして多くの宣教師たちも日本にやって来ました。

しかし、当時、キリスト教は禁じられた宗教だったため、彼らは、医師や、英語教師として活動したのです。その中の一人に、フルベッキという人物がいました。彼は、英語教師として活動し、佐賀藩が長崎に設けた藩の学校のひとつ、致遠(ちえん)館でも働いています。

フルベッキは、ここで新約聖書、万国公法、科学、数学も教えていたようです。

日本初の写真家による撮影だと言われている「謎のフルベッキ写真」と風評付きの写真がありますが、撮影日は不明です。フルベッキと共に写っているのは、若き日の西郷隆盛(薩摩)や坂本龍馬(土佐)ではないかという説もあります。致遠館には、佐賀藩士だけでなく、薩摩藩士や、長州、土佐、肥後などからも志士たちが集まっていたため、その可能性は否定できません。

ちなみに、西郷は聖書に親しんでおり、彼が説いていた「敬天愛人」という言葉の背景に、聖書の影響があるという指摘もされています。そのほかに、フルベッキは大隈重信にも影響を与えたと言われており、大隈がフルベッキに出会わなかったら早稲田大学はできていなかったかもしれません。

ポイント2:アメリカから来たオランダ人、フルベッキ

さて、フルベッキがサムライたちに接近しやすかった理由の一つに、彼がオランダ人だったことがあります。彼はオランダの裕福な商人の家に生まれました。のちにアメリカに移住し、アメリカのオランダ改革派教会から、日本へ宣教に送り出されたのです。

当時、日本では英語を話せる人は少なく、外国文化と言えば「蘭学」つまりオランダ語が主流でした。そこで、フルベッキがオランダ語を話したことは、知識人階級に聖書を伝えるのに役立ったに違いありません。

ポイント3:藩士たちが読んでいた「漢訳聖書」とは?

さて、今では何種類もの日本語訳聖書が普及していますが、「明治元訳(もとやく)」と呼ばれる最初の日本語の旧新約聖書が完成したのは1888年で、フルベッキが来日してから約30年も後のことになります。

しかし、中国語訳聖書は、日本語訳聖書よりも早く完成していました。そのため、明治期初頭のサムライたちの多くは、「漢訳聖書」と呼ばれた中国語訳聖書に訓点をつけて読んでいたのです。

ちなみに、中国語訳聖書は英国の宣教師による翻訳と米国の宣教師による翻訳がありましたが、Godについては、それぞれ「上帝」と「神」という異なる訳語を用いていました。しかし、日本ではアメリカの訳がよく使われるようになり、それに訓点を付けた『訓点 新約全書』が1879年に刊行され、『訓点 旧約全書』(全三冊)も1883年に刊行されました。

そんなわけで、明治元訳には漢訳聖書の影響が強く見られます。Godを「神」と訳するなど、現在の聖書用語やキリスト教用語もルーツを辿れば、この漢訳聖書~訓点聖書に行き着くことが少なくありません。

ちなみに…中国語訳聖書とは

中国語訳聖書の翻訳は日本より早く始められていました。ただ、中国語訳聖書と一口に言っても、その種類は様々です。

まず、中国語訳聖書(全訳)の嚆矢と言われているのが同時期に出版された二つの訳です。
1822年 新舊遺詔全書(馬士曼らによる訳 Marshman’s Version)
1823年 神天聖書(ロバート・モリソンらによる訳)

モリソン亡き後、神天聖書を改訳しようと作業が始められたと言われるのがこちらの訳、日本のサムライが読んだ委辦譯本(Delegates' Version)が出されるまで使用されていたようです。
1838年 郭實臘(ギュツラフ)譯

委辦譯本(Delegates' Version)は、イギリスとアメリカの翻訳委員ーーロンドン伝道会(London Missionary Society)とアメリカンボード(American Board)の宣教師ーーが"God"の訳語をめぐって対立し、最終的に別々に出版されました。
1854年 イギリスの宣教師らによる訳(God → "上帝"と訳出)
1863年 アメリカの宣教師らによる訳(God → "神"と訳出)

日本ではGodを"神"と訳した、アメリカの宣教師らによる訳が普及したとされており、サムライたちが読んだのも、こちらの訳だったと考えられます。

まとめ & 次回予告

以上、フルベッキに焦点を合わせ、日本の歴史的偉人と聖書について、3つのポイントをご紹介しました。

・フルベッキは侍たちに影響を与えた
・オランダ語で武士たちと交流した
・侍が読んだ「漢訳聖書」や「訓点線書」の影響は現代の聖書・キリスト教用語にも見られる

次回からは、サムライとその聖書との関わりについて、迫ってまいります。どうぞお楽しみに!

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