【聖書講座 #10】帰還時代
この回のポイント
エレミヤの預言が成就し、人々が帰還してエルサレムを再建する時代を学びます。
「奇跡的な預言の成就」という物語性の割には話題が少なく、記録も混乱が見られますが、キリスト登場の舞台が整えられる重要な時期であると言えます。
旧約聖書の記述の終わりと、新約聖書の記述の始まりの間には約400年の「中間時代」があります。この時期の歴史の流れがわかると、多くのことが見えて来ます。
バビロンの滅亡
前回はバビロン捕囚の70年について学びました。今回は、旧約聖書の最終回として、帰還時代からイエス誕生までを、一気に学んでゆきます。
では、ダニエル書5章から始めましょう。ある夜、バビロンの支配者だったベルシャザル王は酒宴を開き、エルサレムの神殿から奪って来た聖なる器で酒を飲み、他の神々を褒め称えました。
すると突然、指が現れて壁に不思議な文字を書きます。それを見たベルシャザル王は恐怖にかられて大声をあげ、その意味を知ろうとしました。そこに呼び出された預言者ダニエルは、王が真の神に敬意を払わなかったことを非難し、こう言います。
そのしるされた文字はこうです。メネ、メネ、テケル、ウパルシン。その事の解き明かしはこうです、メネは神があなたの治世を数えて、これをその終りに至らせたことをいうのです。テケルは、あなたがはかりで量られて、その量の足りないことがあらわれたことをいうのです。ペレスは、あなたの国が分かたれて、メデアとペルシャの人々に与えられることをいうのです」。(ダニエル 5:28)
ペルシャのクロス王が帰還を許可
その言葉通り、ベルシャザルはその夜のうちに殺されてしまいました(この事件は西洋ではよく知られていて、英語で writing on the wall と言うと、「不吉な前兆」という意味になります)。
この事件が起きたのは前539年で、その夜にバビロンを滅ぼした国はペルシャ帝国でした。ペルシャのクロス王は、捕囚となっていた人々に寛容な政策を施し、ユダヤ人たちにエルサレムへの帰還を許します。エレミヤの語った預言は、ここで成就したのです。
神殿の再建工事:「第二神殿」の完成
帰還したユダヤ人たちは早速、神殿の再建工事に取り掛かりました。その様子は聖書の「エズラ記」に記されています。
この工事は、大祭司ヨシュアと、ゼルバベルたちによって開始されましたが、妨害が入って十年以上も中断してしまいます。工事の中断により、人々は何のためにエルサレムに戻って来たのかさえ忘れてしまい、ただ、日常の暮らしに追われる日々になってゆきました。
旧約聖書の最後に収録された「ハガイ書」、「ゼカリヤ書」、「マラキ書」は、その時代に書かれました。
預言者ハガイは、工事の責任者たちに呼び掛けます。
主は言われる、ゼルバベルよ、勇気を出せ。ヨザダクの子、大祭司ヨシュアよ、勇気を出せ。主は言われる。この地のすべての民よ、勇気を出せ。働け。わたしはあなたがたと共にいると、万軍の主は言われる。これはあなたがたがエジプトから出た時、わたしがあなたがたに、約束した言葉である。わたしの霊が、あなたがたのうちに宿っている。恐れるな。(2:4-5)
結局、神殿の再建工事が完成したのはBC515年でした。ちなみに、ソロモン王が建てた神殿を「第一神殿」、この時に完成した神殿は「第二神殿」と呼びます。
エルサレムの城壁の再建工事
エズラ記の次の「ネヘミヤ記」には、それから半世紀以上を経て、エルサレムの城壁の再建工事が行われた様子が記されています。彼らもまた更なる困難に直面しますが、城壁はついに完成しました。(エズラ 8:1-3)
エズラが律法の書、つまり聖書を読むと、人々は起立し、涙を流して喜びました。
ネヘミヤとエズラ、レビ人たちは、人々に「この日はあなたがたの神、主の聖なる日です。嘆いたり、泣いたりしてはならない」と言いました。
そして、彼らが律法を学んでいくと、仮庵の祭の記述を発見します。そして人々は、久しく忘れられていた仮庵の祭を祝い、喜んだのでした。
「エステル記」とプリムの祭り
さて、バビロン捕囚はこれで終わったかのように考えられがちですが、実は、エルサレムに帰還したのは捕囚された人々の一部で、多くの人々は引き続きバビロンを含むペルシャ帝国の各地で暮らしていました。
そんなユダヤ人たちの記録が書かれているのが、ネヘミヤ記の次にある「エステル記」です。
ペルシャ帝国では、ユダヤ人を憎むハマンという人物によって、帝国内のユダヤ人を絶滅させるという、恐ろしい命令が出されました。その時、ペルシャ王の妃であったエステルは、機転と勇気で民族を救ったと、この書は記しています。
それが、どこまで実話に基づいたものであったかは議論の余地がありますが、ユダヤ人たちが、この事件を記念して祝う「プリムの祭」は、今日も守り続けられています。
中間時代とヘレニズム
これで、旧約聖書の説明を終わります。旧約聖書の記述は紀元前400年頃までですが、新約聖書の記述が始まるのは紀元前5年頃で、約400年の空白期間があり、これを「中間時代」(Intertestamental Era)と言います。
旧約聖書の学びの最後に、この期間の歴史を、簡単にまとめておきましょう。
紀元前332年、ギリシャから東に遠征を始めたアレキサンダー大王が中東一帯を征服します。これによって、ペルシャ帝国は滅び、ユダヤ地方もアレキサンダー大王の支配下に入りました。
大王の遠征によってギリシャ文化が中東各地に広まり、東方の文化と融合した「ヘレニズム」と呼ばれる独特の文化運動が生まれます。それに伴い、ギリシャ語(コイネー)も共通語として普及し、地域内の交易も盛んになりました。
そして、ユダヤ人たちは地中海沿岸から中東の各地に居住し、徐々に、ヘブライ語からギリシャ語を話すようになっていきました。そのため、この時代には旧約聖書のギリシャ語訳(セプトゥアギンタ)も作られました。
マカベア戦争とハヌカの祭り
一方、ヘレニズム世界の拡大と共に、ギリシャの神々を礼拝する風習も広がってゆきました。
前2世紀にユダヤ地方を支配したエピファネスという王は、ギリシャの神々を礼拝することをユダヤ人たちに強要し、エルサレムの宮にもギリシャの神々を祀りました。
この状況からの脱却を図ったマカベア家の人々は、前167年、ユダヤの人々を率いて反乱を起こし、独立を回復して神殿を清め、再び聖書の神を祀りました。この出来事を記念する「ハヌカの祭」は現在も祝われています。
しかし、権力を手中にしたマカベア家は、ほどなマカベヤく内紛を起こします。そしてBC63年、ユダヤ地方はローマの支配下に入ってしまいました。
ローマによってユダヤの王とされたのが、新約聖書に登場するヘロデ大王です。彼は第二神殿を改築しますが、豪華になった外観とは裏腹に、人々の信仰は形がい化していきました。
高まる「ダビデの子、メシア」出現への期待
世界救済の輝かしい約束を与えられた民族が、なぜローマの支配に甘んじなければならないのか。私たちをローマの支配から解放してくれるのは誰なのか…… そう考えるようになった人々は、預言者たちがこれまで何度も語ってきた「ダビデの子、メシア」の出現に期待をかけるようになっていったのです。
新約聖書の最初のページを開けてみましょう。冒頭には:
アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。(マタイ 1:1)
と書いてあります。「アブラハムの子であるダビデの子」は、イエスが「メシア」であることを意味しています。そして、系図は続きますが、今は割愛して、最後の節に注目しましょう。
だから、アブラハムからダビデまでの代は合わせて十四代、ダビデからバビロンへ移されるまでは十四代、そして、バビロンへ移されてからキリストまでは十四代である。(マタイ 1:17)
著者はなぜ、それぞれの世代が「十四代」だと書いたのでしょうか。今までに学んだことを思い出してください。
アブラハムからダビデまでの時代は、奇跡的な出エジプトの事件もあって、希望を抱くストーリー展開でした。ところが、ダビデの時代からバビロン捕囚までは、苦難の連続でした。帰還後も、決して安定した時期だとは言い難い状況でした。
それでも、それぞれの世代が正確に「十四代」だと指摘することによって、歴史の背後に神の深いご計画があったことを著者は伝えたいのです。
次回予告
千年以上という膨大な時間をかけて緻密に準備された救世主、メシアは、どのように登場するのでしょうか。次回から、いよいよ新約聖書の学びに入っていきます。どうぞご期待ください。