【聖書講座 #08】南王国
この回のポイント
南のユダ王国にも、多くの預言者が出現して王や民に神の言葉を伝えました。
中でも最重要な預言者がイザヤでした。彼は形骸化した神殿祭儀は神の怒りを招いていると警告し、悔い改めを叫びました。
そして、ダビデ王の再来であるメシア的な王が現れて、イスラエルの国を立て直してくれると預言しました。
イザヤはイエス・キリストの生涯を示すと見られる数多くの預言を残しており、その言葉は新約聖書の中に数十回も引用されています。
南のユダ王国に「悔改め」を叫んだイザヤ
前回は、ソロモンの王国が繁栄したあと国が分裂し、北のイスラエル王国がアッシリヤに滅ぼされるところまでを学びました。今回は、南のユダ王国について学んでゆきましょう。
北のイスラエル王国とは違い、南のユダ王国には神殿がありましたが、人々は心から神を信じていた訳ではなく、形式的に宗教儀式を行っていただけでした。
そんな時代に、イスラエルの人々に「悔改め」を叫んだ預言者のひとりがイザヤでした。彼は人々に厳しい神の言葉を伝えました。
格差と不正が蔓延していた社会
多くの祭を盛大に行い、犠牲をささげるようにイスラエルに命じられたのは神ご自身です。供え物も香をたくことも、神が自ら定められたことでした。
しかし、本当に心からささげなければ神はお喜びにならない、と預言者イザヤは叫びました。
ユダ王国の人々は宗教行為には熱心でしたが、貧しい人々や弱い人々を顧みることなく、社会には格差と不正が蔓延していました。
アッシリヤの司令官がイスラエルの神を侮辱する
BC722年にイスラエル王国を滅ぼしたアッシリヤは、その20年後のBC701年、ヒゼキヤ王の治世に南のユダ王国をも攻め滅ぼそうとします。その時、アッシリヤの司令官、ラブシャケはエルサレムの人々に大声で語りかけました。
多くの国々は、それぞれの民族の神を拝していたが、我々はみな滅ぼした。北のイスラエル王国も、神に守ってもらえずに滅びたではないか。イスラエルの神といえども、我々の手からエルサレムを救うことはできない。イスラエルの神など無力だ、と神を侮辱したのです。(王下18:17-37、イザ36:2-22)
これを聞いたヒゼキヤ王は嘆き悲しみ、預言者イザヤのもとに側近を遣わし、「アッシリヤの司令官がイスラエルの神を侮辱しました」と伝え、助けを求めました。(王下19:1-4)
イザヤの答えはこうでした。
「あなたがたの主君にこう言いなさい、『主はこう仰せられる、アッスリヤの王の家来たちが、わたしをそしった言葉を聞いて恐れるには及ばない。見よ、わたしは一つの霊を彼らのうちに送って、一つのうわさを聞かせ、彼を自分の国へ帰らせて、自分の国でつるぎに倒れさせるであろう』」。
アッシリヤの軍隊は、イザヤの言葉通りにニネベに戻り、ほどなく王のセナケリブは殺されてしまいます。(王下19:35-37)
預言者が民に悔改めを呼びかける
危機が去ると、南王国の人々は「私たちには神殿があるから、何をしていても神に守られる」と気を緩め、真剣に神を求めようとはしませんでした。そんな時代、イザヤの他にも預言者が現れ、人々に悔改めを叫びました。
「ヨエル書」では、神の怒りによって、イスラエルの人々を襲う、恐ろしい災難が予告されています。(ヨエル2:12-13)
神の怒りによって災害が来るという警告と、悔い改めの呼びかけ、そして神が災害を思いかえされる、というのは、多くの預言書に共通した主題です。
理想的な指導者・メシアの出現を語る
多くの預言者たちが語った、もう一つの重要な主題は、理想的な指導者・メシアの出現です。そのような言葉のひとつを、イザヤの預言から味わってみましょう。
ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもって/これを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである。(イザヤ9:6-7)
少し言葉は難しいですが、これはメシアの誕生を語る預言です。ここで「ダビデの位」という言葉が出てきましたが、預言者たちが「ダビデ」という言葉を使う時、それはメシアを意味する婉曲語法なのです。
また、同時代の「ミカ書」には、そのメシアがベツレヘムで生まれる、という重要な預言があります。(ミカ書 5:1-2)
キリスト(メシアのギリシャ語訳)がベツレヘムで生まれたことは、皆様もご存知ではないでしょうか。
ヨシヤ王の宗教改革
ユダ王国の王の中には、神に帰るように国を導いた王もいます。そのひとりがヨシヤ王(BC640-609)でした。
彼の時代に、宮で新たな律法の巻物が発見されます。それは、旧約聖書の「申命記」だと考えられています。
この巻物の存在を知ったヨシヤ王は何をしたのでしょうか。列王記下22章にはこう書かれています。
そして王はユダのもろもろの人々と、エルサレムのすべての住民および祭司、預言者ならびに大小のすべての民を従えて主の宮にのぼり、主の宮で見つかった契約の書の言葉をことごとく彼らに読み聞かせた。次いで王は柱のかたわらに立って、主の前に契約を立て、主に従って歩み、心をつくし精神をつくして、主の戒めと、あかしと、定めとを守り、この書物にしるされているこの契約の言葉を行うことを誓った。民は皆その契約に加わった。(列王記下23:2-3)
これは「ヨシヤ王の宗教改革」と言われています。人々は、異国の神をエルサレムから排除し、イスラエルの神への信仰を新たにしました。
新バビロニア帝国の台頭
そして、ユダ王国にも預言者たちが現れて、人々を励まします。
彼らが書いたとされるのが、旧約聖書の最後の方に収録されている「ナホム書」、「ハバクク書」、「ゼパニヤ書」です。
彼らは、イスラエルを苦しめたアッシリヤの滅亡について語りました。どんな強い国でも、神の裁きは避けられない。アッシリヤは、もうすぐ神の裁きを受けると、彼らは語ったのです。
ハバククの言葉はこうです。
この幻はなお定められたときを待ち、終りをさして急いでいる。それは偽りではない。もしおそければ待っておれ。それは必ず臨む。滞りはしない。見よ、その魂の正しくない者は衰える。しかし義人はその信仰によって生きる。(ハバクク書 2:3-4)
この「義人は信仰によって生きる」は、新約聖書にも引用されている有名な言葉です。神の約束は、時としてなかなか成就しないけれども、必ずいつか成就する。だから、いくら遅くてもじっと耐えて、神の約束の実現を待ちなさい。それがハバククのメッセージです。
そして、彼らの言葉どおり、ユダ王国を脅かしていたアッシリヤ帝国は徐々に弱体化し、ヨシヤ王の時代、BC612年にアッシリヤの首都ニネベは陥落します。
アッシリヤが滅びたのは、ある意味では神の裁きであり、良いことではあったのですが、それに取って代わった新バビロニア帝国、(聖書の中では「バビロン」)は、決してイスラエルに親切ではありませんでした。ほどなく、イスラエルはバビロンの属国となってしまいます。
次回予告
そして、北のイスラエル王国が滅びた後、130年余り持ちこたえた南のユダ王国も、ついに滅亡の日を迎えます。次回はその敗北を預言した涙の預言者エレミヤの苦難から、お話し致しましょう。